忠臣蔵の真実・真相は謎です!赤穂浪士の討ち入りが人気の理由は?

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忠臣蔵の話は、江戸時代中期の元禄15年(1702年)12月14日に起こった「赤穂事件」
がもとになり300年以上経った現在もなお語り継がれています。



毎年この時期になると日本の各地で義士祭が行われ、映画やドラマなどは
100種類以上の作品があり、それほど歴史に興味がない人でも一度は目にした
ことがあるお話ではないでしょうか。


それほどまでに有名で人気のある忠臣蔵のお話です。

実は、時代を追うごとに様々な説が取り上げられ、

史実の面から見ると「ちょっと映画やドラマとは

違うのでは?」ということもあるそうです。



そこで赤穂浪士討ち入りの真相、そして、今でもなお根強い人気の理由に

迫ってみたいと思います。

赤穂浪士の討ち入りはなぜ起きたのか?


先ずは、この事件の簡単なあらすじをご紹介します。

事件の舞台は、あの有名な江戸城の松の廊下という場所で、

播磨赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、

旗本の吉良上野介(きらこうずけのすけ)を刃で切り付け、

傷を負わしたことが発端です。



殿中(江戸城内)で刃物を抜くというのは当時はご法度!!
重大な禁止事項だったのです。

(「殿中でござる!」は有名なセリフですね。)



事件のあった日は、天皇からの勅使を迎える儀式の中でも
最も大事な日でもあり、事件を聞いた
当時の将軍である徳川綱吉は激怒ヽ(*`Д´)ノ

その日のうちに浅野内匠頭に切腹を命じました。



しかも赤穂浅野家の改易(取りつぶし)、つまり“お家断絶”です。



当時は「喧嘩両成敗」という決まりがあったのにもかかわらず、
吉良上野介には何のお咎めもなかったのです。



幕府の目付による取り調べも充分にされず、大名ともあろう人物が庭先での切腹!!
さらに領地は没収、藩士は失業し浪人になったのです。





これらの事柄が、赤穂藩士たちに大きな不満を抱かせたのは言うまでもありません。



赤穂浪士たちは当然その結果を不服とし、
赤穂藩の家老、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心とした
47名は、主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、
吉良上野介を討ち取ることを決めました。



そして浅野内匠頭が切腹した翌年同日の12月14日・・・
吉良邸への討ち入りを果たし、吉良上野介の首を打ち取ります。



その後、赤穂浪士たちは吉良の首を持ち、浅野内匠頭の墓前に捧げるため泉岳寺に
向かいます。その道中、江戸の人々は拍手喝采だったと言われています。



しかし、最終的には幕府の命を受け赤穂浪士たちは全員切腹し、
浅野内匠頭の墓の周りに埋葬されました。
※大石内蔵助の息子である大石主税(おおいしちから)は四十七士の中で
最年少の16歳でしたが、切腹のときにも落ち着いた様子
だったと語り伝えられています。



これがあらすじとなります。
映画やドラマを観る前の予習になればと思います。

赤穂浪士の人気が今でも根強い理由は?




赤穂浪士が今でも根強い人気の理由はいくつかあると思います。



その中でも最も大きいのが、赤穂浪士四十七士のリーダー
大石内蔵助のヒーロー性ではないでしょうか?



吉良の首を討ち取り、泉岳寺までの道中、江戸の人々は拍手喝采だったと
言われているのは、江戸の時代背景にあります。



その当時、江戸庶民は貧しい生活を送っており、
また、悪評高い「生類憐みの令」にも苦しめられていました。
※5代将軍徳川綱吉が発した悪政の象徴ですね。
綱吉は犬公方(いぬくぼう)とあだ名されました。



そんな苦しい生活の中に起こった「赤穂浪士の討ち入り事件」!!
弱者の立場の赤穂浪士が幕府に逆らい討ち入りを果たした姿はまさに
ヒーローに見えたのでしょう。



そんなヒーローのお話が庶民により語り継がれ、今に至るのです。
幕府の記録つまり史実とは少し異なる部分があるそうです。
(幕府にしてみれば赤穂浪士が悪者なので仕方がないのかもしれませんね。)



その他の理由として、赤穂浪士の綿密な討ち入りの計画や戦略、
そして浪士と彼らを取り巻く人間模様が
人々の興味を惹きつけていると言われています。



主君への忠義、しかしながら家族や友人への思いの葛藤など、
様々な人間模様が繰り広げられています。



他にも理由はあるかと思いますが、いずれも現代社会につながる話の要素が
たくさん詰まっていることこそが大きな理由ではないでしょうか。


さいごに(史実は本当はこうだったかも)




「忠臣蔵」というお話は、大石内蔵助が主人公となりますので、
どうしても幕府や将軍、そして吉良上野介は悪者になります。

しかし実際は、映画やドラマのような美談ではなかったと言われています。


浅野内匠頭は短気で、家臣や侍女などに現在で言う“パワハラ”を
していたそうで、松の廊下でも短気でさえなければ
刃傷事件にまでならなかったのかもしれません。


吉良上野介は、実はただ自分の仕事をこなしていただけなのに浅野内匠頭とのすれ違いなど
で腹を立て嫌がらせをしていたと言われています。また、浅野内匠頭からの賄賂が少なかったためとも・・・



将軍綱吉は47名の処分を切腹までしなくとも・・・と思っていたにもかかわらず
自分の立場を守るため処分を下したという説もあります。



客観的に見ると小さなことの積み重ねやすれ違いでこんな悲しい事件が
起きたのかもしれないと思うと、いつの時代も人と人との関係は
誤解が生じるもの・難しいものだと思い知らされます。



しかし浅野内匠頭がどのような人格であろうと、吉良上野介にどのような事情があろうと、
確実に言えることは、自分の信念を貫き、忠義を尽くした赤穂浪士は本物のヒーロー
だったということではないでしょうか。


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