戦争を知らない子どもたちこそ戦争を風化させてはならない義務を負う!

プライド:レスポンシブ

終戦の日が終わると、また1年後まで、平和を享受していることを熟考しないような風潮に疑問を感じています。ナチス戦犯をどこまでも追跡し続けるドイツと比べると、日本の意識レベルの低さは明らかです。

日本ではA級戦犯が首相になったり政治家になったりしたことと比べると、意識レベルの稚拙さを感じるのは私だけではないと思います。戦争を遂行して、自国民に甚大な被害を与えた者たちを、国民代表としての国家議員に選出してしまうのですから。

日本ではマネーをバックボーンにした権力さえあれば、何でもやりたい放題といったところでしょうか。


歴史から学ぶための記事をほんの少し紹介します。

戦争は二度としてはならないものです。日本国憲法の前文にもその趣旨は顕著に表れています。では、戦争を知らない子どもたちとしての私たちは、戦争とは何かについて知るため・考えるためにはどうするのか?

答えは一つしかありません。戦争を犯した歴史から学ぶしかないのです。過去の史実を脳裏に焼き付けてこそ、恒久平和が想像できるのだと思います。


妹は、スプーンですくった透明の液体をなめると、閉じていた目をくっと見開いて、私をにらんだんです。そしてそのまま、息絶えた


1946年8月6日。医者から普段とは違う粉薬を手渡された。村上さんがそれを口に流し込むと、母親はすぐに口から白い泡を吹き出して、息を引き取った。

私は、戦争とは『人が人を殺すこと』と考えています。様々な場面で、簡単に命を奪う場面が出てくるのが戦争の本質だと思っています。



戦争は殺戮以外にも狂気の世界を作り出すと言えます。

極限状態の中、狂乱の状態を正当化していくのが戦争の現実ではないでしょうか?


戦後、70年以上黙ってきたが、ホルマリン漬けの瓶に入っていた子どもたちのことが忘れられない




僕らは何の疑問も持たず軍隊に入り、命をささげるのは当たり前という教育を受けてきたが、間違っていた。武力に対し武力を用いても、絶望と悲しみが残るだけ。軍隊も核も持たない日本を誇りに思う




戦争を風化させてはいけない理由とは?

・二度と戦争を体験しないため
付言すると、風化させることが悪いのではなく、負の遺産といわれる戦争を教訓としないことが悪いのではないでしょうか?

戦争を知らない子どもたちとしての私たちには、今現在、自由な想像力が保証されています。戦時中のように、ありとあらゆる言論弾圧が行われていた時代とは異なります。



ですので、今こそ戦争の本質を考えるべきだと思います。

リアルな声を聞きに行くことも大切です。

広島や長崎での原爆被害は、語り部の方々によって、よりリアルに体験できます。修学旅行でお聞きになった方も多いと思います。

ひところ、語り部の方々を侮辱するような仕打ちを行った、脳みそのない修学旅行生のニュースに驚きました。

語り部の方の高齢化が叫ばれています。観光が目的であってもいいと思います。観光にプラスして実際の声を聞くことができるのなら、そういう機会を利用してください。

語り部の方の勇気を振り絞った行動は敬服に値します。悲惨な事実を風化させることのないようにとの使命感から取られている行動だと思います。

種々の記念館に出かけることも一つの方法です。

以前、鹿児島県の知覧に行ったことがあります。砂蒸し風呂に入った帰りに寄ったものです。

知覧は、ご存知の通り、陸軍の特攻隊基地があったところです。資料館では幾多のハガキに目を通しました。特攻に旅立つ心境を親御さんに伝えるハガキが大半でした。



知覧に行ったときの私の年齢は、ハガキを書いた方たちの倍以上でした。年端もいかない少年たちが死にゆく心情を吐露していました。

ぜひ知覧に親子で訪れてください。

みんな死にたくなかったんです。『お国のため』と最後まで主張していた方だって、周囲の狂乱の状態のせいで、そう言わざるを得なかったはずです。誰が、愛する妻子や両親と別れて、国なんかのために命を投げ出すものですか!!


 狂った国に対抗するため武力行使は正当化されるのか?

とても難しい問題をはらんでいます。

戦争は二度としてはいけないものです。では、ミサイル攻撃やテロを甘んじて受け入れるのでしょうか。

防衛と武力行使の境はとても微妙です。しかし、一方的な暴力には、抵抗すべきものと考えます。



戦争の本質を考え、戦争は二度としてはいけないと熟考する。過去の戦争も表向きは自国の防衛という大義名分があり、そこから泥沼的に拡大していったことに目を向けてください。

先の問題である、狂った国については、やはり世界的な連帯しか方法はないと考えます。



戦争を見つめ直しましょう。

人が人を殺すとは、どういうことなのかについて深く考えてみましょう。そのためにも色々な催し物・資料記念館を積極的に利用することが望まれます。

経験しないとわからないほど、もう人間は愚かではないはずです。私たちには自由な想像力があるのですから。




私たちは、幾多の犠牲の上に平和を享受していることを忘れてはならないはずです。

日常的な安心や安全があるからこそ、四季の移ろいに喜び、自然を愛でることができると考えています。旅行や温泉を楽しみ、各地の味覚に舌鼓を打てるのも、日常が平穏無事に流れているからです。



漫然と平和を享受することの怖ろしさが潜んでいるんじゃないでしょうか。一人一人が戦争について考えること、考え続ける努力を怠ったら、平和など簡単に崩れてしまうと思っています。肝に銘じるのは、平和な状態への努力を続けることです。

スポンサーリンク
スポンサードリンク